音楽と教育

教育に携わる音楽好きな人間です。定期的な更新が目標です。

実りあるOJTへ

OJTというけれど

 他の業界でも当たり前に使われている言葉かと思いますが、教育界では、OJT(On-the-Job Training)といって、上司・先輩が、職場の実践を通して指導していくことが定型句のように使われています。

 一方、このOJTを本当に効果的に実践するために、どのような指導が効果的かについては、私自身の経験では全くありませんし、そのような研修を受けたこともありませんでした。

学びを科学する

そんなことを思っていたところ発見したのが本書。 授業実践などでは、科学的根拠を基に実践することが定着してきた感がある教育界ですが、大人である自らが成長するための学びについて、客観的に捉え、よりよいものにしていこうという風土は、残念ながらありません。(いやいや、うちはあるよ!という学校さんもあるかもしれませんが・・・)

3つの因子

著者は、職場における支援を3つの因子で説明できることを突き止めました。

  1. 「精神支援」・・・相互に精神的な安らぎを与え合うことです。
  2. 「業務支援」・・・必要な情報を提供したり、相談になったりすることです。
  3. 「内省支援」・・・振り返る機会を与えたり、客観的に指摘することです。

 以上3つの因子と、誰からの支援が能力向上に資するか、について細かい内容は割愛しますが、以下、気に入ったポイントです。

  • 上司が最も行っている「業務支援」は能力向上に結びついておらず、上司があまり行っていない「精神支援」は能力向上に結びついている
  • 上位者・先輩からの「内省支援」だけが能力向上に正の影響を与えていた
  • 同僚・同期からの「業務支援」と「内省支援」が能力向上に正の影響を与えていた。業務支援が個人の能力向上に効果をもたらしているのは同僚・同期に限られている
  • 部下・後輩については、3つの支援のいずれにおいても能力向上に正の影響を与えておらず、本調査においてなんらかの示唆を与えるデータは得られなかった。

 私もこれからは、後輩と気さくに会話し「精神支援」を増やし、事業の振り返りを共に行い、支えていこうと思いました。

音楽の授業の在り方

お勉強ができなくても・・・

 私たちの社会では、国語、数学、理科、社会、外国語といった受験科目と、音楽、体育、美術、技術家庭といったいわゆる技能教科との二項対立の図式が、なかば一般化してしまっているのではないでしょうか。

 お勉強と芸術、知性と感性は別物、と捉える社会通念が出来上がってしまっていると肌で感じています。

 最近、「STEAM教育」や「リベラルアーツ」などといった言葉を目にすることが増えました。常々、教育における芸術の立ち位置に疑問をもっていた私にとっては、我が意を得たりとは自惚れが過ぎますが、よい時代になってきたなと感じています。

 本書は、科学と音楽を高度に融合させたMITのカリキュラムのレポートを通して、音楽の可能性を再発見させてくれます。

人気の音楽科目

 4000名ほどの学部生の中で、毎年1500名ほどの学生が音楽科目を履修しているとのことです。しかも、この10年で音楽科目履修生が50%増加しているのだそう。高校になると芸術科目が必修から選択になってしまう日本は目も当てられません。 音楽でどんなことを学んでいるか、学部生の声はこちら

  • 音楽とテクノロジーの融合 声の探求
  • ギターのサスティナビリティ
  • ピアノのメカニズム
  • 音楽の推奨システムについて。iTunesspotifyなどの比較

と多岐に渡る研究。自ら演奏する授業も多数あるそうです。うーん、楽しそう。

AI全盛の時代だからこそ、人間らしさを

過去を検証し、現在を理解し、未来の方向性を考えるとき、コンピュータによる近道はありません。人間によるクリティカル・シンキング(批判的思考)が基本です。

 本書で紹介されている教授の言葉ですが、なるほどその通り、どれだけテクノロジーが発達しても、使うのは人間。「なぜ?」に対して多様なプロセスで考えることができるのは、人間の強みだと思います。

いま・ここにあるものの奥に何を見るのか

考えてみれば、作曲家たちはそんな自然界の音や自分の内なる声に従って、音楽を書いたのである。それは、その奥に深く広大な世界を見出したからではないだろうか。自分や他者の心を敏感に感じ、自然や環境を感じとるー感受性は、観察力でもある。

 人は何気なく日常を生きています。目の前に立ち合わられたこと・モノに対して、じっくりと向き合い、何を気付くことができるのか。徹底的な観察力が科学でも音楽でも大切だと著者は述べています。

 そういえば、音楽に限らず、素敵なモノや言葉をつくる人って、何気ないことでも視点が鮮やかで、自分では気が付かなかったなぁ、と思うこと多々ありました。

 いつか日本も、文系・理系・偏差値にとらわれず、音楽を学べる環境になればいいなぁ・・・。

今日のアーティスト Belle Chen

新しいピアニスト

 まず、こちらをご覧ください。

 いかがでしたか。ガムランの響きをピアノで再現するなんて・・・! プリペアドピアノといって、ピアノに様々なモノをはさんだりして、音色・響きを変化させたピアノを使っています。

 そのほか、YAMAHAのシンセを使い倒している動画や、ライブパフォーマンスまで、いくつか動画があります。 いずれも、立ち現れる音響を生き生きと泳ぐように演奏する姿が、何とも心地よいものです。

 このピアニストに出会ったのは、iTunesでながら聴きしているときでした。

Bell Chenを知っているか

 あるとき、耳慣れたピアノ曲から、ふと耳慣れない、街中の喧騒のような音が聴こえてきました。もう一度よく聴いてみると、街中の音をサンプリングして、曲の途中で流していることが分かりました。

「何て新しい!」「今まで知っていた曲も新鮮に聴こえる!」

演奏家は「Belle Chan」。私は初めて知りました。

見つからない

俄然興味が湧いてきたので、「Belle Chan」なる人物について調べました。 しかしまぁ見つからないこと。 ということで、どんなアーティストか、Google翻訳を頼りにまとめてみました。

  • 1988年8月17日生まれ。イギリスのロンドンを拠点とするオーストラリアと台湾のピアニスト、サウンドアーティスト、プロデューサー。
  • 彼女の音楽は、分類できない魅力的なものである。それは、クラシック、アバンギャルド、ワールド、エレクトロニカサウンドアートのジャンルの奇妙なブレンドのようだ。
  • 予測不可能な音楽のアプローチにより、聴衆に驚きの要素をもたらすが、実験的、前衛的、世界的なジャンルから引き出されたテクスチャの中で、古典および新古典的な端正な美しさを保っている。
  • ライブパフォーマンスでは、複数の楽器、特にアコースティックピアノ、シンセ、メロディカを演奏し、ラップトップで電子楽器をサンプリングして音を見つけていく。

心に残った言葉

インタビュー記事で、彼女の言葉がありました。

私はすべての音に美しさがあると固く信じています。ホワイトノイズ、救急車のサイレン、子供の泣き声など、日常の音でも不安を感じることがあります。これらの音の文脈を取り除き、再文脈化すると(おそらく、繊細な旋律の線に沿って配置するか、ピアノを通して音を調和させることによって)、それらは非常に美しくなる可能性があります。

ピアノを通して、全ての音を美しく変換する彼女の動向に目が離せません。

今こそ「美術」の力を。すべての人に必要な「アート思考」。

書籍情報

「13歳からのアート思考」/末永 幸歩 著/ダイヤモンド社/四六判338ページ/1800円+税

「美術」で何を学んで来たのか

 著者は、知識・技術偏重の美術教育に問題意識をもち、大学の研究員として美術教育の研究に励みつつ、現役の教師として、アートを通して「ものの見方を広げる」ことを重視した教育を実践されている。
 本書は、著者の「美術」の授業を受けながら、「美術」に対する見方や考え方を更新していく構成となっている。

目に見える「作品」ではなく、目に見えない部分を育む

 著者はアートを植物に例える。地表部分には「作品」として「花」が咲き、根元には興味や疑問が詰まった「興味のタネ」。そこから生えているのが、「探究の根」。探究の根は、アート作品が生み出されるまでの長い探究の過程を示し、無数の根が複雑に絡み合っている。
 「アート思考」は「興味のタネ」「探究の根」にあたり、「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探究をし続けること」とされている。
 私はこれまで「花」にしか焦点を当てていなかったので、アートに対する見方・考え方が、大きく揺さぶられた。

「アート思考」の必要性

 なぜ「アート思考」がすべての人に必要なのか。
  それは、VUCAワールドといわれる、先行き不透明の世界を生きていくために、自分の見方で世界を捉え、自分なりの探究をし続けることが必要である、と説明されている。
 答えが一つではないことに対して、柔軟な思考をもつことは、コロナ禍により様々な課題に直面している現代で、まさに必要とされている思考ではないか。

これからの時代にこそ

  1. 「作品」を生み出す過程が重要であり、興味をもったことを自分なりに探究していく力である「アート思考」を育んでいくことが必要。
  2. 「作品」に対して、事実と意見を往還し、言語化してアウトプットしていくことが大切。
  3. 激動する複雑な現実世界のなかで、「自分のものの見方」「自分なりの答え」をつくり出すアート思考は、すべての人に役立ち得るものである。

 本書を通して、これから先の将来にも生きる、見方・考え方を磨くための教科が「美術」であることを実感するだろう。私も「アート思考」を身に付け、何歳になってもアーティストでいたい。

感じたことを音に。創ることの奥深さに迫る作曲入門書。

書籍情報 

「作曲少女」/仰木 日向 著/まつだ ひかり まんが・イラスト/YAMAHA MUSIC ENTERTAINMENT HOLDINGS

「作曲」が身近な存在に

 歌うこと、楽器を演奏すること、音楽を聴くことが趣味という人はいれど、作曲をすることが趣味、という人は珍しい。音楽の授業でも、合唱や器楽合奏、鑑賞の活動の記憶が残っている方が多いのではないか。
 本書は、あまり身近ではない「作曲」について、「自分でもできるかも」「やってみようかな」と思わせてくれる言葉に満ちている。
 著者の仰木日向氏は、フリーランスの作曲家。アニメ楽曲やゲームBGMを手がけている。世に出ている初心者向けの音楽理論書は、初心者には分かりにくいという課題が本書誕生のきっかけだったそう。
 作曲が初めてという方にも分かりやすいし、音楽理論をかじったことがある、という方にもより理解が深まる内容。

理論書ではなく、理論を知りたくなる本

 本書は、二人の女子高生の友情を描いたライトノベルという体裁。
 本格的な内容を、専門知識がない人が読んでも分かるように表現が工夫されている。
 例えば、「メロディ・歌詞・ベース・ハーモニー・リズム」という音楽を構成する要素を「主人公・セリフ・適役・脇役・世界観」と説明していたり、様々なキー(調)がある理由を、服装のコーディネートの色に例えていたりしている。

音楽を生み出す原動力となる言葉

「どんなに一生懸命努力したとしても、努力してるかぎり、夢中になってる人には絶対にかなわない。」

 天才作曲家役の登場人物のセリフは、音楽好きなら共感できるものがいくつもある。作曲という行為には、表現したい思いや意図をもつことが大切で、何回も試行錯誤していくことが必要だと感じた。

特別なことから日常的なことへ

  1. 作曲は、自分が感動してきた体験や好きなことを、音で伝えることである。
  2. 自分の感じたことや価値観を信じて、失敗を恐れずにつくってみることが大切である。
  3. 知識や理論は、作曲ができるようになってから意味が分かってくる。

 これまで音楽に少しでもふれあっていれば誰でも、作曲について親しみと興味が湧き、音楽の奥深さにハマるきっかけとなる一冊である。

音をデザインすること

書籍情報

「人と空間が生きる音デザイン」/小松 正史 著/昭和堂/四六判215ページ/1900円+税

音の力で空間をポジティブに

 お洒落なカフェに行き、香り高い珈琲を飲む。お気に入りの文庫本を片手にふと気が付くと、スローテンポのジャズが流れている・・・。
 その場に聞こえる音の印象によって、場の印象も異なることは、多くの方が経験していることだろう。
 心地よく、意識に働きかけすぎない曲想や音響であれば、快適な空間になり、耳に付く音色や雰囲気と合わない音楽が絶えず聞こえてくれば、不快な空間になる。
 本書は、主役ではないけれど大切な、空間の音をデザインする小松氏の思考や実践から、音楽の奥深さを知ることができる。

背景音に耳を傾ける

 ふだん私たちが耳にする音楽や言葉など、音の意味を把握する「前景音」に対して、音が消える瞬間の余韻や雰囲気など、音の響きを把握する「背景音」がある。
 音のデザインで重要なポイントは、私たちが普段注意を向けていない「背景音」に焦点を向けること、と述べられている。

音育・音学・音創

 「背景音」を聴き取ることを含め、音のデザインに必要な力を身に付けるために、音を聴いて感動する力を身に付けることを前提として、3つのステップで説明されている。

  1. 「前景音」と「背景音」をバランスよく聴き分けられるようにしていく「音育」(おといく)
  2. 目に見えない音の情報を、目に見える記録に変換し、音のフィールドワークをする「音学」(おとがく)
  3. 音以外の感覚要素に配慮して、音をデザインする「音創」(おとつくり)

  学校教育の「創作」の概念と異なる部分が面白く、音楽教育における知覚・感受の捉え方と重なる部分もあり、大変興味深い内容である。

音の環境に意識を向け、よりよい生活空間を

現場に何度も足を運び、そこに集う人と会話し、自分の感覚を信じて作曲する。音源ができあがれば、現場空間で実際に鳴らし、浮かび上がった問題点をあぶり出す。  

 空間と音楽、互いの要素を生かし合う音づくりに配慮することについての著者の言葉である。徹底的に現場主義で、真摯な姿勢が言葉からにじみ出る。
 何気なく通り過ぎる町中、お店、公共の空間など様々な場所には音が溢れている。創り手の思いを知り、音の背景にも耳を澄まそうと思う。