音楽と教育

教育に携わる音楽好きな人間です。定期的な更新が目標です。

読書の見方・考え方

見方・考え方ここにあり

 平成29年に告示された学習指導要領では、全ての教科等に「見方・考え方」というキーワードがある。例えば理科なら「理科的な見方・考え方」音楽なら「音楽的な見方・考え方」となり、各教科等の特色に応じたものごとの捉え方、考え方が示されている。 これは世の中に出たとき、つまり学校から離れて社会で生活するときにも働かせていくことが期待されている。

 で、本著である。 読書の方法が書かれているが、ここにも「見方・考え方」が示されていたのである。それは

何を考えるべきか?(視点)×どう考えるべきか?(法則)=あなたなりの結論

 なるほど、何をどう捉えて、それをどう考えるか、ということは、授業に限らず普遍的な思考法なのだな、と気がついた。

人は「視点」を通してしか、物事を考えることができません。つまり、何らかの「視点」を置かないかぎり、「思考の出発点」にすら立てません。

 「活動あって学び無し」などといわれる実践の大半は、「視点がない」「視点が示されていたが議論の内容はずれていた」「視点が人によってばらばらだ」と分類されると思われる。

本との付き合い方

したがって、「本」を「本」としてとらえるのではなく、「あらかじめ文字が印刷された、未完成の思考ドリル」ととらえて、「本とあなたの協働作業を通して完成させていくもの」と考えて、どんどん書き込んでいきましょう。

 教科書や本などを、無条件に「完成品」と見てしまっていた自分に気付く。 なるほど、書き込みなどをして、「完成させていく」のか。

 これは「教科書をどのように使うのか」という指導の工夫にヒントを与えてくれる。  そういえば自分は楽器を専門に勉強していた時期があったのだが、書き込みが少ない楽譜は練習の練度も少なく、書き込みが多い楽譜は弾きこんでいたように思う。 愛着、こだわり、思いの強さに関わってくるのであろう。

目的と手段

 最近こうした自己啓発本や読書術本などを読んでいると「アウトプットが大切」ということを共通して示されていることに気付く。 教育界でも一斉講義型授業から、子どもが主体的にアウトプットすることが求められている。

アウトプットとは、「目的」でしょうか?それとも「手段」なのでしょうか?

 著者の素朴な問いかけに、ふと立ち止まる。 私たちは、気付かぬうちに「アウトプットすること、させること」が目的化してしまっていたのではないか、と。

 そもそもアウトプット本を呼んでいる目的はなにか、仕事の役に立てるため?ならば、そもそもその仕事は何の目的か。 筆者はこう答える。

もしそうなら、働く目的は明快です。家族・友達・同僚、ひいては社会の役に立ち、多くの人から「ありがとう」「あなたがいてくれてよかった」と思ってもらえることです。

 なるほど、こんな視点があったのか。他の人のためを思うこと、自分がした仕事で感謝されることなのか、と。

 ついつい狭い了見で仕事に悩んでいたが、ふと視点を広げてものごと考えてみるよいきっかけとなった。