音楽と教育

教育に携わる音楽好きな人間です。定期的な更新が目標です。

納得のいく読解力論

論理性と情緒性、どちらも必要

 「読解力が低下しているらしい」 教育畑にいらっしゃる方であれば、近年よく耳にする話題である。 PISAという国際的な学力調査で、日本の読解力の順位が下がったことで、新聞などメディアでも大々的に報じられた。 読解力に関する書籍も、かなりの数があるのではないだろうか。

 筆者はPISA調査の結果について、

PISA調査は日本の高校1年生全員を対象にした「全数調査」ではなく、一部の人だけを選んで調べる「標本調査」のため、今回の調査対象者の平均値は一定の幅をもって考える必要があります。そうすると504点で15位の日本は、506点で11位のスウェーデンおよびニュージーランドから、498点で20位のドイツまでのあいだで、統計的な有意差はないのです。

 と冷静に読み解きつつも、読解力の必要性はきちんと主張している。

 さて、ここから先の展開が、他の読解力本とは異なり、私が腑に落ちたところである。

しかし文学作品などの「情緒的な文章を読み解く力」、すなわち「情緒的読解力」も、読解力としてとても大事なものだと私は思うのです。

 そう、論理性だけでなく、情緒性も必要とはっきり主張してくださっているのだ。しかもそれを同じ「読解力」の括りとして、である。

 日本では来年度から、高校の国語の科目編成が再編され、高校2、3年生では選択科目が「論理国語」「文学国語」「古典探究」「国語表現」となる。 受験対策として「文学国語」を履修しない学校が増えることが懸念されている。

 こちらの記事

kapunet.hateblo.jp

でも指摘したが、とかく日本は論理的なものと情緒的なものを別物として捉え、分けた上で「必要なものは論理的(理数)なものだけよ」とでもいわんばかりの仕組みや政策が目に付く。なげかわしや・・・。

危機的状況のとき、本性がわかる

 人間、危機的状況のときに、その人の本性がわかるなどと言われる。 今般のコロナ化で様々な課題が浮き彫りとなったが、芸術に対する無理解には愕然とした。

2020年、新型コロナウイルスの感染が拡大し、世界の文化産業が大打撃を受けました。ドイツ政府は3月末、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」「音楽家も画家も作家も、映画・音楽関係者や書店・ギャラリー・出版社も、誰もが生き残ることを望んでいる」として、最大500億ユーロ(約6兆)に上る大規模な支援をすることを迅速に表明しました。

 これがヨーロッパとの文化の蓄積の差なのか、と思った。 一方、何十年後、何百年後に同様の問題に日本が直面したとき、「芸術こそ必要ですよ」といえば支持率が上がる、と政治家が思うくらいの国民性にするのは、教育の力が(それだけでは難しいが)必要だと強く思った次第である。

読解力を身につけるためには

ものごとを理解するいちばんの秘訣は、「アウトプット(発信)を意識したインプット(情報収集)」なのです。すなわち、なにごとも人に説明する前提で、問題意識を持って資料にあたり、深く理解する、ということです。

 これはもう、ほとんどの学校で実践しているのではないか。どのように出力、表現するかによって、何をどう捉えるか、意識をもって受け取るかが変わる。音楽や読書も同じである。

読書によって、世の中には自分とまったく違う考えの人間がいるのだということを理解し、広く受け入れる寛容の心が育ち、人間への洞察力がついていきます。立場の違う人を理解する共感力、すなわち情緒的読解力が身につくのです。

 結局筆者は、読書しなさい、ということがいいたいのだが、私が子どもの頃、こうした意見を大人が伝えてくれていれば、もっと好きになっただろうし、違う発見をしたのではないかと思う。 また、多くの学校で実施されているであろう朝読書は、なかなか理にかなった取組なのだなぁと感じた。

 「読解力」 このキーワードだけが一人歩きし、情緒的なもの、不確かなもの、感性を耕すものの価値が揺らいでいる。 今一度、冷静に、情緒的な読解力を身につけていこうではないか。