モノ・コト・ヒト
いつか自分も
私はモノが好きである。好きであるというより、欲に負ける。 一方で、手に入った途端に熱が冷めることも多い。 これではモノが好きなのか、モノを買うことが好きなのか、分からない。 そんな私にお灸を据えてくれた言葉がこちら。
この本で僕は、日常生活の中でつきあっているモノを100選んで、そのモノとのつきあい方や出合い、想いや記憶を、あれこれと自由に書いた。
果てして私は、語れるモノがどれほどあるのだろうか。 モノそのものの価値よりも、モノとの関わり方で生活の豊かさが違ってくるんじゃないかと、遅まきながら気が付いた。 私もこんな風に、モノと付き合っていきたいな。
豊かな考えに触れる
そういうわけで、著者のモノが100個語られるわけだが、特別なことでなく、日常のことだけでも、その感じ方、捉え方が繊細かつ斬新な著者のモノとの出合いに触れることで、視野が広がった気分になる。
本当に好きなものほど、その理由をうまく説明することができないというが、それは本当だと思う。(べんとう箱)
高校時代の先生に、「・・・・・・ね?」と言われて通じ合ったソレと同じことかもしれない。
旅先において、地図というものは、買うものではなく、自分で歩きまわって、自分の好きなように書いて作るものだと思っている。(地図帖となるポケットノート)
この視点はなかった!と思い、ミニサイズの白地図が載っている手帳のようなものを購入するも、挫折。こういうことできる人、憧れます。
音楽を聴きたいとき、お茶を淹れる。お茶を飲みたいとき、音楽を選ぶ。味わうという意味で、音楽とお茶はとても似ている。(音楽と金駿眉)
なんとなく料理・食事と音楽は似てるな、と思っていた私にとって、とっても共感した言葉。なんともスローで素敵な生活がイメージできます。ちなみにそのお茶は「チュンチュンメイ」というそうです。
さあ、「私の100の物語」を今日から開拓していこうではないか。